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東京高等裁判所 昭和54年(う)956号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を東京地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、東京高等検察庁検察官検事谷口好雄が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人遠藤直哉、同横田雄一、同笠井治、同小野正典が連名で提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第二(訴訟手続の法令違反の主張)について

所論は、要するに、原審裁判所は、検察官が司法巡査石本紀久夫作成の写真撮影報告書添付の写真(以下石本写真と略称する)15に関し、これに写つている警察部隊は本件被害警察官が所属し被告人らのデモ隊の規制に当つていた警視庁第五機動隊第四中隊ではなく、同機動隊第三中隊であることを明らかにする補充立証を行うため弁論の再開を請求したにもかかわらず、これを却下してそのまま被告人を無罪とする判決を言渡したのであるが、検察官が弁論再開の理由とした事実問題は、右石本写真15が本件犯行現場の状況を写したものであるか否かという本件における重要な争点の一つを解決するものであるのみならず、本件における殆んど唯一の直接証拠ともいうべき被害警察官の現認供述の信用性にも関するものであつて、当然弁論を再開して証拠調をすべきであつたのであるから、検察官の右補充立証のための弁論再開申請を故なく却下し従つてその立証を尽くさせなかつた原裁判所の右訴訟手続は、明らかに刑訴法一条、三一三条一項に違反したものであり、これによる審理不尽により事実誤認を犯すものとしてその違法が判決に影響を及ぼすこともまた明らかである、というのである。

よつて原審記録を調査すると、本件公訴事実は、被告人が、(一)昭和五一年五月二三日午後三時五八分ころ、東京都中央区銀座五丁目三番一号先路上において、労働者・学生らの集団示威運動に伴う違法行為を制止・検挙する任務に従事中の前記警視庁第五機動隊勤務警視庁巡査高野元伸に対し、右足でその左大腿部を一回足蹴にする暴行を加え、もつて同警察官の右職務の執行を妨害するとともに、その際、右暴行により同警察官に対し加療約五日間を要する左大腿打撲の傷害を負わせ、(二)前同日同時刻ころ、前同所において、労働者・学生らの集団示威運動に伴う違法行為を制止・検挙する任務に従事中の同機動隊勤務警視庁巡査部長榎本秀樹に対し、右足でその左すねを一回足蹴にする暴行を加え、もつて同警察官の右職務の執行を妨害した、というのであるが、審理の冒頭から右各暴行の事実の存否等が争われて証拠調が重ねられ、第一七回公判において検察官の論告、第一八・一九回公判において弁護人の弁論(なおこれに先立つて弁護人提出の報告書一通の取調がなされている。)、第一九回公判に被告人の最終陳述がなされて弁論が終結され、判決宣告期日が昭和五四年二月七日に指定され、その後右公判期日は同年三月七日に変更されていたところ、同月五日検察官から弁論再開申請書が提出されたことが認められる。そして、右申請書の記載によると、その再開申請の理由は、要するに、前記石本写真15に写つている機動隊員は、当時前記高野元伸及び榎本秀樹が所属していた警視庁第五機動隊第四中隊の隊員ではなく、同機動隊第三中隊の隊員であること等を立証するため同中隊々長向井泉市及び城修治を、また右写真15を撮影した時刻は本件以前の午後三時五五分ころであつて、石本写真16が撮影されるまでの間に外濠通りの信号が青色に変化していること等を立証するため前記石本紀久夫を、更にまた右写真16に写つている柳田正人は機動隊員によつて逮捕されたのではなく、自ら隊列から出たところを制止されているものであること等を立証するため工藤俊彦を、それぞれ証人として取調べることにより、右写真15に写つているデモ隊員、機動隊員及び車両が青信号に従つて交差点を横断し外濠通りを東京駅方向へ通過した後本件が発生したものであることを明らかにしたい、というものであり、これに対し、翌三月六日弁護人遠藤直哉、同小野正典、同笠井治連名の右弁論再開は不必要である旨の意見書が提出され、原審裁判所は前記三月七日の公判において右弁論再開申請を却下したうえ、そのまま判決宣告をしたことが認められる。

そこで、以下原審記録及び当審における事実取調の結果に基づき原審裁判所の右弁論再開申請却下の措置の当否について検討すると、本件においては、本件発生時における犯行現場の状況に関する検察官と被告人・弁護人らの主張が全く対立しており、検察官側は、本件は被告人が集団示威運動参加者らの一団の右端に位置し、前記被害警察官高野元伸、榎本秀樹らの所属する前記第四中隊の規制隊列の前面を数十センチメートルの間隔でだ行進しながら通過中、その右足でまず右高野の左大腿部を蹴りつけ、更にその右側に立つていた右榎本の左すねを右足で蹴りつけたものであり、前記石本写真15に写つているのは右犯行時より約三分前の午後三時五五分ころの時点における状況であつて、被告人の本件犯行当時の状況とは甚だしく異つている旨主張し、これに対し被告人側は、右のだ行進の事実を否定し、四列縦隊で原判示の荒川区民共闘会議の梯団に続き整然と行進して本件現場に差しかかつたところ同梯団の前を行進していた南部地区共闘会議の梯団が停止したので、荒川区民共闘会議の梯団に続いて、右南部地区の梯団の右側に出て停止したところ、被告人らの梯団の後方にいた梯団が右南部地区の梯団と被告人の属する梯団との間に割り込んできたため、被告人らは道路右側に押し出されたところ、機動隊員が襲いかかつてきて逮捕されたものであり、右石本写真15にみられる状況はその時の状況に近似している旨主張しているのであるから、右写真15に写つている機動隊員が第四中隊の隊員であるか否かについての認定は極めて重要な事項といわなければならない。ところが原判示のとおり原審証人高野元伸は「同写真中の規制にあたつている警察官は第四中隊員かどうかわからない」旨証言するところ、同証人榎本秀樹は「同写真に写つている規制中の警察部隊は第四中隊と思う、なお時間的には被告人を逮捕している最中と思われる」旨供述しているものの、その供述部分は明確な根拠に基づくものではなく、単なる推測の域を出ないものであることはその証言自体から明らかであり、同証言を一応別とすれば、検察官の前記弁論再開申請の時点においては、右写真15に写つている警察官が第四中隊員であるか、あるいは別の中隊の者であるかを確定し得るに足りる十分な証拠は提出されていなかつたといつてよく、右の申請を却下し直ちに判決の言渡がなされている事実及び原判決の判文に照らすと、原裁判所も右時点において同様の見解に立つていたことが明らかである。

そうとすると、同写真15に写つている機動隊員は第四中隊員ではなく、前記第五機動隊の第三中隊員であること、同写真15が撮影された午後三時五五分ころから次の石本写真16が撮影されるまでの間に前記各梯団が行進していた外濠通りの信号は青色に変化している(右写真15における同信号は赤色を示していることが認められる)こと等を更に立証したいとする検察官の弁論再開申請の理由は本件における重要な争点の一つとなつている事実問題について証拠を追加することによりこれを明確にしようというものであり、かつ右高野、榎本両証人の各供述の信用性にもかかわる甚だ重要性、必要性の高い事項といわなければならない。

そして更に検討すると、原判決は本件発生時における本件現場の状況について、「ただちには石本写真15に写されている状況とは断定し難いものゝ他にこれと異なる状況を認めることのできる証拠のない本件にあつては、これと類似の状況にあつたのではないかとの疑いを否定し難いところである。とすれば、デモ梯団がその行進の態様・経緯はともあれ小走りで移動し順次車線側から交差点に進入し前進している状況ではなく、多数のデモ隊員が停止・滞留し警察官の規制をも受け、デモ隊員相互は無論のこと規制警察官とも密着し接着していた状態ではなかつたかと推測せざるを得ない」とし、これを根拠に、原審証人高野元伸、同榎本秀樹が、警察官の規制隊列の面前数十センチメートルのところをだ行進して通り過ぎながら右警察官の左大腿部や左すねを蹴つた犯人について、「犯人の足を認め、これを追い、あるいはこれによつて犯人を被告人と特定し得る状況にあつたとすることには疑問をいだかざるを得ない」と判断しているのであるが(原判決書二二丁)、もしも右写真15に写つている機動隊員は第四中隊員ではなく、本件発生時における本件現場の状況が右写真に写つている状況と相当異なる可能性があることになれば、原判決の右判断の根拠は根底から疑問視されざるを得ないことに帰する理である。また原判決は右高野、榎本の各供述の正確性についての疑問点として三点を挙げている(同判決書二二丁裏の(二)項)のであるが、その評価については問題がないわけではない。すなわちその第一点は、右両名が晴見通りの車両の通行の有無についての記憶を欠いていること及び数寄屋橋交差点に接する外堀通り新橋側や同交差点内にデモ隊列が停滞している状況をみていない旨供述していることをもつて同人らの認識の正確性は疑問であるとするのであるが、右高野の供述に照らすと、同人らの関心、注意の大半はデモ隊に集中されていたことがうかがわれ、かつ本件当時から右高野については約九か月、右榎本については約一年二か月も経過した時点における供述であることを考慮に入れると、前示の点の記憶がないことを根拠に右両名の「犯人の足を認め、これを追い、あるいはこれによつて犯人を特定した」とする直接体験した事実で記憶のうすれにくい事項についての証言部分の信用性についてまで直ちに疑いをさしはさむのは相当でない。また、その第二点としては、右両証人の各供述によると、第四中隊は本件発生の際数寄屋橋交差点に接する外濠通りの新橋側横断歩道より更にやゝ新橋寄りのデモ梯団より見て進行車線の第一、第二車線又は第二、第三車線付近に規制線を張つていたというのであるが、石本写真15にみられる状況からすると、右写真撮影時刻である午後三時五五分以後本件発生時刻とされる同三時五七、八分までの間にそのような規制線を張り得る可能性は、右車両の通行状態を明らかにし得る証拠のない本件ではこれを認めることができない、とするのであるが、仮に右石本写真15が撮影された直後デモ梯団の進行していた外濠通りの信号が青色に変つたものとすれば、二、三分後にはデモ梯団の状況は著しく変化することがあり得るわけであるし、前記機動隊第四中隊長であつた原審証人宮城勝の証言によつても、当日のデモ隊に対する規制は、警察部隊が数寄屋橋交差点新橋寄りのところからデモ隊と併進して同交差点を過ぎた東京駅寄りのところまでデモ行進を誘導して、また同交差点新橋寄りのところに戻るという方法を繰返したというのであるから(当審証人向井泉市も、当日第三、第四中隊で右のような併進規制を交互に行つた旨右供述記載を裏付ける証言をしている)、同写真15に写つている機動隊員が第三中隊員であつて右デモ梯団の移動に伴つて右交差点を越え東京駅寄りの方向に移動したとすれば、本件発生時に第四中隊が右高野、榎本両証人の各供述どおりの位置にいたとしても必ずしも異とするに足りないともいうことができ、原判決の右の判断は再検討を要することになるというべきである。更にその第三点としては、右両証人の各供述によると、被告人をソニービルの展示場前まで引戻した際被告人が右展示場の縁石につまずき尻部から同所のベニヤ板の上に倒れた旨供述しているところ、弁護人笠井治作成の報告書に徴すると、当時展示場においてベニヤ板を張る等の設備はしていなかつた、というのであるが、右報告書添付の写真(原審記録第七冊一四七五、一四七六丁)によれば、ベニヤ板様の宣伝用立看板が被告人の倒れたとされた場所の向つて左側付近に立てられており、石本写真17(同記録第二冊五三一丁)と併せてつぶさに検討しても、当時原判示のように同展示場にベニヤ板を張る等の設備がなされていなかつたとまでは断定できないのみならず、仮に右石本写真17の被告人と思われる者が倒れている下の物体がベニヤ板でないとしても、前示立看板との関係で記憶に混乱を生じたおそれもあり、いずれにしてもこのことから直ちに右両証人の供述中被告人から暴行を受けたとする供述部分の正確性にまで疑問をさしはさむのは早計のそしりを免れず、結局原判決が前記高野、榎本の各供述の正確性を疑問とする根拠としで挙げている諸点は、いずれもこれをもつて直ちに被告人から暴行を受けたとする各供述部分の信用性まで否定すべき理由に乏しいものといわざるを得ない。のみならず、当審証人向井泉市の当公判廷における証言等に照らすと、右石本写真15に写つている機動隊員の大半は第四中隊員ではなく第三中隊員である可能性が濃厚であり、また原判決も説示するように被告人側原審各証人の証言にもかゝわらず石本写真15それ自体からは被告人の梯団を確認できず、被告人が同写真の示す状況のもとにあつたとすることには疑問が残るのであるから、もしも原審裁判所が前記の弁論再開申請を容れたうえ、検察官請求の証拠を取り調べていたならば、これが右高野、榎本両人の各供述の信用性についての判断に少なからぬ影響を与え、かつ、その余の証拠とも併せ右高野、榎本の証言する被告人の行動は石本写真15の数分後で第三中隊と交替した第四中隊が規制に入つた時点のものであるとすべき蓋然性も相当濃厚になるものと推断することができる。

以上の諸点を総合勘案すると、補充立証を目的とした検察官の右弁論再開申請は、その時機が若干遅きに過ぎた嫌いがないではないが、それまでの審理の経過に照し生じた基本的な事実さに関する証拠間の矛盾を解明するためのものとして、立証事項の重要性及び必要性が高度のものであること並びに右の補充立証を許すことにしてもそれほど長時日を要するとは思われないことにかんがみると、刑訴法一条にいう事案の真相を明らかにする目的のためには、右再開申請を容認すべきであつたといわざるを得ず、これを却下し直ちに被告人を無罪とする判決を言渡した原審の措置は、弁論再開の要否に関する裁判所の合理的裁量の範囲を著しく逸脱し当然再開すべき弁論を再開せず、刑訴法一条、三一三条一項に違反する訴訟手続上のかしを犯すものと認められ、かつ本件では、弁論を再開し更に前示証拠調を行うことにより判決の結果に重大な差異をもたらすことが十分考えられ、しかもそれに対し被告人側の反証も予想される状況にあるものということができるのであるから、控訴趣意第一の事実誤認の点について判断するまでもなく、原判決は、右の判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反を犯したものとして既に破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

(なお、各弁護人は、当裁判所が向井泉市を証人として採用し、原審が弁論を再開すべきであつた否か、すなわち刑訴法三一三条に基づく裁量権行使の適否に関する事実に限定して尋問がなされたことにつき、もともと原審において弁論を再開しなかつた措置について訴訟手続の法令違反の有無を判断するには純粋に論理的な検討で足るから、再開後取調の予定される証人を取調べるのは転倒した考えであり、しかも一旦証人を取調べた以上弁護人に反証の機会を与えないのは審理不尽の違法を犯すものである旨主張するのであるが、前示のとおり検察官が弁論の再開を申立てるに当り、同時に再開後に予定される証人等の証拠調を申立て、その立証趣旨や取調の必要性についても述べているところ、原審裁判所はその必要性を認めず却下したのであるから、当審として検察官の述べる立証趣旨のとおりの立証が可能かどうか、すなわち立証の確実さや必要性の程度について調査することは当然許容されるところであり、かつその調査は疎明の程度で足ると解されるから、検察官の申請につき右の限度で立証させるため前示向井証人を採用し尋問したことに何ら違法はなく、また右尋問により前示立証趣旨やその必要性等が疎明されたと認められた以上、差戻後に立証の機会は残されるのであるから弁護人からの反対尋問を許したほかは、さらに実体についての反証を取調べなかつたとしても審理を尽さなかつた違法があるとすべきではなく、所論は採用できない。)

よつて、刑訴法三九七条一項、三七九条、四〇〇条本文を適用して原判決を破棄し、本件を東京地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(千葉和郎 永井登志彦 中野保昭)

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